魯山人へのあこがれ

北大路魯山人のこと

魯山人は明治十六年(一八八三年)京都で生まれ、昭和三十四年(一九五九年)に亡くなるまで絵画・書・篆刻・漆芸・陶芸など自由闊達な創造性で高い芸境を示しました。また天性の味覚を持った美食家で高級料亭・星岡茶寮を開設し、日本の食文化に一大革新をもたらしました。特に食器に関しては、料理に供する食器を自ら制作しようとした事にあり、豪放多才ぶりを発揮し、磁器から土物に至るまで数万点を生涯のうちに作陶しています。

魯山人が主催する星岡茶寮は、日本料理に限らず洋食・中華などの創作料理を魯山人自らが作陶した器に盛り多くの人の眼と舌を愉しませてきました。

戦後は陶芸の制作を活発に行い、織部・志野・唐津・信楽・備前焼にも手を拡げ、古陶磁の心をくみとり魯山人自身のものとして創作した作品は益々魅力を増し、国内外より高い評価を得ました。

近年では美術館にて魯山人展が開かれますと大変な賑わいをみせ、また魯山人の作品は珍重されるものとなります。骨董界では破格な高値で取引され、未だに芸術愛好家や料理人の心を魅了し続けその生き方自体にも関心が寄せられ新たなファンを増やしています。

魯山人の魅力

私が魯山人にひかれたのは彼が古陶器の目利きに優れており、料理にかけては第一人者であった事にはじまります。

自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器を自ら創作していた。そして、古陶器をみて制作の意欲をもやし料理を生かすための器づくりに没頭した。そのため作品のほとんどが食器であり、彼の器によって料理は引き立ち、器はまた料理によって彩られた。

中國陶から李朝、日本の國焼である志野、織部、黄瀬戸そして琳派の乾山、しかしこれらすべてが魯山人にかかると、その一つ一つに魯山人の個性があふれています。過去にも現代にもこれだけ多技多彩な芸術家は見たことがない。

彼が乾山に魅せられ創作に取り入れたように、私もまた魯山人の作品を創作に取り入れて励んでいます。魯山人を生涯第一の目標のとして彼が求めた料理を活かすための器づくりを目指して精進していきたいと思っています。

Respect for 魯山人